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第二章 熱砂―2

 ルゥが部屋を出てすぐに、メイドに連れてこられた医師が部屋に入ってきた。初老のその医師は苦しそうに呼吸するカトリーヌを見ると、助手に命じて注射器を取り出した。
 たくし上げられた袖から見える細い腕には、痣のように注射針のあとばかりがある
。  それもそのはずだ。彼女は日に数回、打たなければならない注射がある。それを幼いころからずっと続けてきた結果、腕には痛々しい痕が残ってしまった。
「ドクター」
「わかっております。これは、 しん の病ですな。薬はお持ちでしょうか」
「はい。飲み薬は三十分ほど前に飲みましたが、その前の注射はしておりません」
「鎮痛剤を打ちましょう。そして飲み薬を飲ませれば、すぐによくなりますよ」
 言いながら医師は、傷跡だらけの腕にまた新しい傷をつけた。
 貿易の国であるサラサには、様々な国の薬が流れてきている。
 東の果てにある紅華国の煎じ薬から、北の 月眞 ( げっしん ) 国の珍しい薬草まで、その種類は正確な数すら知られていないほどに。
 この国の医師はそれらに精通しており、患者の容態をみて様々な処方をする。
 医師の見立ては正しかったようだ。荒かった息は次第に落ち着き、蝋のように白かった頬には少しずつではあるが紅色が戻ってきていた。
 そんなカトリーヌに、ルカはほっと胸を撫で下ろした。
 これでまた、あの可憐な笑顔が見られる。
 医師はしばしの間カトリーヌの呼吸や脈を計っていたが、もう安心だろうと確認したのであろう。何かかわりがあればすぐに誰かを寄越してくれるようにとルカに告げると、貴賓室から退室した。
 そういえば、ラグナスは報告を済ませてくれたのだろうか。ルゥはフェイ王子に事の次第を話したころだろうか。
 落ち着いて考えてみると、自分はカトリーヌの事となると冷静さを保てないようだ。
(無理もないか…兄妹のようなものだし)
 ルカの母親は、カトリーヌの乳母だった。
 同じ乳を飲み、遊び相手として後宮にあがっていた昔を思い出すと、自分でも驚くほどに優しい微笑みが浮かんでいることに気づいた。
(まだ、こんな風に笑えるんだな)
 自嘲めいた笑みを浮かべながらルカは思案する。
 両親を亡くした後、親類のツテを頼ってフェンサーソル傭兵団に入団した彼は、諜報活動を得意とする傭兵だった。
 任務中に人を殺したこともある。
 そんな経験の中で、彼を突き動かしていたのは大人びた表情と幼さとを併せ持つカトリーヌの存在だった。
(俺の手は汚れているけれど、けれど、貴女だけは必ず守ってみせる)
 そう、両親が命をかけて彼女と彼女の母親を守ったように−−−。

「カトっ!!!!!」

 荒々しく扉が開かれる。
 そこに見えたのは、砂漠の民によく見られる褐色の肌。背中の中ほどまで伸ばされた髪は、魔よけとしての意味合いを持つ。
 まだまだ幼さの残るその顔立ちには、焦りと不安、いろいろなものが入り混じっていた。
「フェイ様」
 (たしな)めるような声音に、フェイと呼ばれた少年は口元を両手で覆った。
「ごめん、カト、大丈夫なのか?」
「はい、ドクターのおかげで発作は落ち着きました」
 ルカはベッドの横に椅子を移動させると、少年−フェイ王子に座るように促した。
「発作自体はおさまりました。ただ…」
「ただ?」
 椅子に浅く腰掛け、眠るカトリーヌの手をそっと握り締める。
 指先はフェイ自身もびっくりするほど冷たいが、微かに握り返された指がたまらなく愛おしい、そう思った。
「お力を、短時間に使いすぎていると思います。目が覚めるまで、少し時間がかかるかと…」
「そうか…」
 自分より年下の婚約者の寝顔を見つめながら、フェイは息を漏らした。
 最後に会った時は、まだまだ幼さが残っていて、フェイが話す広い世界に大きな瞳を輝かせながら聞き入っていたのに…。
「変わったな、カト」
「そうですか?」
 ふと漏らした呟きに答えたのは、ルカ。
 カトリーヌを幼いころから見てきている彼にとっては気づかないであろう些細な変化をも、この王子は気づいてくれる。
 ルカはそれが嬉しかった。
 ルカのカトリーヌに対する気持ちは、父親が娘を慈しむような感情と、妹をあやす兄のようなものだ。女性としてのカトリーヌの変化にはとても疎い。いや、女性としてみていないわけではない。ただそれが、恋や愛に発展するものとは程遠い種類の気持ちであることは確かだ。
「うん、変わったよ」
 あいている手で、カトリーヌの髪を撫でる。
 絹糸のような細い髪は絡まることもなく、さらさらとシーツの波間を漂う。
 前に会った時はこの髪はもう少し短くて、可愛らしいリボンで二つに結ばれていた。ドレスだって、そう。記憶の中の彼女は、いつも可愛らしいピンク色や真っ白なドレスを着ていたのに、いつの間にかこんな大人びた服装をするようになったのだろうか。  無理もない、最後に二人が会ったのは四年前−−−カトリーヌの10歳の誕生日の記念式典だったのだ。
 式典が終わり、サラサに帰る国王一家に、「わたくしも一緒に連れて行って」と涙を流した少女はもう、こんなにも大きく成長した。
 それがなんだか嬉しくて、でも寂しかった。
「カトリーヌ様は、何も変わっておられませんよ。そりゃあ外見は変わって当たり前ですけど、中身はまったく変わらない。フェイ様を好きな気持ちも、一瞬だってぶれることはありませんでした」
「うん、それ聞いて安心した。カトには俺がついてるから、ルカはマグナと親父のトコ行って来いよ。あ、あとさっきラグナスがまったく逆方向に走っていくの見えたから、回収よろしく」
「…了解いたしました」
 フェイの言葉に、ルカは大きく溜息をついた。


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