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第一章 出会い―3


「カトリーヌ様は相変わらずラグナスに対して意地悪でいらっしゃる」
 ルカはクスクスと笑いながら、水筒をカトリーヌに差し出した。
 薄暗い森の中では気づきにくいが、カトリーヌの顔色は蒼白だ。
「あら、そんなことないわよ。ラグナスの理想のお姫様像を演じてあげているだけ」
 差し出された水筒には、温かい紅茶が入っていた。
 カトリーヌはそれを両手で包み込むようにもち、息を何度か吹きかけて一口含んだ。
「町外れまで十分程度かな…。カトリーヌ様、大丈夫ですか?」
「……ええ、大丈夫よ。このくらい、なんともないわ」
 強がって答えるが、カトリーヌの顔色は悪く、一目で具合が悪いとわかるほどだ。
 彼女自身も強がりだとわかっているのか、自嘲めいた笑みを浮かべて呟く。
「参ったわ…体力の消耗が激しすぎる…」
「お力を使ったのは、お久しぶりですか?」
「そうねぇ…最後は確か、お母様がお亡くなりになったときかしら?
 ま、あのときは使ったというより暴走といったほうが正しいかしら」
 大きく深呼吸をすると、カトリーヌは胸元を押さえた。
「苦しいのですか?」
 心配そうに問いかけるルカに、カトリーヌは苦笑を浮かべながら小さくうなずいた。
「ほんと、嫌になっちゃう」
 カトリーヌは木の根元に置かれた鞄から白い包みを取り出すと、紅茶でそれを飲み干した。
「手術はなさらないので?」
「いやぁよ、手術なんて」
 ぎゅっと胸元を押さえながら呟くカトリーヌに、ルカはやれやれ、と肩をすくめた。
 彼女は、幼いころから心臓に病を抱えている。
 それ自体は手術でだいぶよくなるのだが、彼女は決して手術を受けようとはしない。
 理由は昔から変わっていないことを、ルカは知っていた。
 ただ一人、彼女が家族以外で最愛と認めた彼のためだと。
「手術なんて、絶対にしない」
 子供のわがままのようだ。
 ルカは素直にそう思う。
 けれど彼女はまだまだ子供だ。
 過保護な程に彼女を愛した父親は、彼女のことを屋敷から出そうとはしなかった。それどころか、部屋から出ることにすら条件をつけていた。
 体力さえつければ、ある程度の発作にも耐えられた。
 けれど彼女は、その体力すらないに等しい。
 今年で14を数える彼女にとっての世界は、広すぎる部屋とたくさんの書物、そして、与えられ続けたぬいぐるみ。
 仕事に忙しい父親と、継母。
 彼女の母親が生きていれば、そんな寂しさもなかったのかもしれない。

 口には出さなかったが、彼女は寂しがり屋だろう。  だからこそ今、こうして楽しそうな表情を浮かべているのを、ルカは知っている。

「ねえルカ。もしもの話よ」
 幹に寄りかかりながら、カトリーヌは空を見上げた。
「なんでしょうか、カトリーヌ様」
「あたしが死んだら、あなたは悲しんでくれるのかしら?」

 ずっと昔から、何度となく問いかけられ続けた質問。
 悲しむ?
 いいや、きっと、彼女がいなくなったら、自分の心にぽっかりと穴が開いてしまうだろう。
 彼女がまだ赤ん坊だったころから、ずっとそばに居続けていたのだから。
「悲しいですね…。貴女がいなくなったら、俺は…」
 ルカの言葉に、カトリーヌはふわりと微笑んだ。
 嘘と虚飾に彩られた世界の中で、彼女はただただ純粋だ。
 だからこそ、自分の父親すら信じられないで居ることに心が痛んでしまう。
「ありがとう、ルカ。大好きよ」
 そっと頬に触れる指は、ひんやりと冷たい。
 カトリーヌの手を引いて、ルカは、自分の上着を彼女にかけた。
 それだけで彼女は、ただ嬉しそうに微笑む。
「さあ、カトリーヌ様。火の準備をしましょう。体を温めませんと」
「そうね。だいぶ日も落ちてきたことだし、今夜はここで野宿かしら?」
「できるだけ野宿は避けたいところですが…ラグナスからの定期連絡が…」
 ルカの返答を待たないうちに、通信機器からけたたましい音が鳴り響く。
「あら、噂をすればラグナス様からだわ」
 クスクスと笑い、カトリーヌは火種を起こす準備を始めた。
 そんな彼女を横目で見ながら、ルカは起動スイッチを押す。
『あ、ルカか?悪ィ、遅くなった』
「うん、こちらは全然かまわないよ。で、どう?」
『市内にはいろんな国からの傭兵やら占い師やらが沢山いるな。さすがケイン国王様だ』
 ケインという名に、カトリーヌはピクリと肩を震わせた。
「ラグナス」
 そんな彼女の些細な変化に、ルカはラグナスを窘めるように呟く。
『あ、悪ィ。カトリーヌ様もいたんだな』
「わたくしは構いませんわよ、ラグナス。お父様、というよりあの女だと思いますけれど…?」
 火種の上に紙を次々と乗せていく。
 小さな炎に照らされたカトリーヌの表情は、恐ろしいほどに美しい。
 その美しさとは対照的に、ルカでさえも言葉を発することができないほど、彼女の表情を無だった。
「それで?ラグナスのほうは準備はよろしいのかしら?」
 ぱちぱちと炎が爆ぜる。
 紙から小枝、小枝から枯れ木へと炎は移り、すぐに大きな焚き火と変わっていた。
『あ、ああ。ここなら誰かに気配を探られる心配もないはずだ』
「わかりましたわ。ルカ」
 す、と細い指が虚空を描く。
 炎に照らされた顔は、先ほどの発作のせいかまだ青白い。
 まだ万全な状態ではないことがうかがい知れるが、彼女はこうと決めたら一歩も引かないのだ。
 やれやれと肩を竦めながら、ルカは媒体となる髪の毛の束をカトリーヌに渡した。
「わたくし、カトリーヌが命じます。ラグナス・ファウストをわたくしの元に導きなさい」

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